ニグロシンのはなし ~140年の温故知新~

<ニグロシンとは?>

ニグロシンは、1867年に発見される。
既に142年になる古典的な油溶性染料(Solvent Dye)の1つであり黒色油溶性染料の代表格である。
一般にニグロシンと呼ばれる黒色色素は、カラーインデックスにおけるソルベント ブラック 5(C.I. 50415 C.I.Solvent Black 5), ソルベント ブラック 7(C.I. 50415:1 C.I.Solvent Black 7), アシッド ブラック 2(C.I. 50420 C.I. Acid Black 2)があげられる。
ニグロシン(Nigrosine)は、アニリンもしくはアニリンの塩酸塩とニトロベンゼンに塩酸を加え、銅乃至鉄などの触媒下で脱水、脱アンモニア、酸化・還元縮合反応(Redox Condensation)で得られるアジン系化合物である。縮合される条件により様々なアジン骨格を有する化合物からなる混合物であり、その反応条件によって色相、性状が異なる。そのため、製造業者が異なれば、化合物の組成も異なる。それぞれの単一化合物は、黄色、赤色、紫色、青色の各成分からなる混合物として得られその結果 黒色を示す。ニグロシンの化学構造は、1955年〔The Chemistry of Synthetic Dye and Pigments〕p243に記載されているが、ニグロシンの製造条件によって異なり、アジン(Azine)骨格を有する色素の混合物であるといえる。
伝統的な慣用名でニグロシン スピリット ソルブル(Nigrosine Spirit Soluble)と呼ばれるニグロシンは、塩酸塩として知られその名が示す通り、低級アルコールに溶解する。一般にスピリット ブラック(Spirit Black)とも呼ばれる。
塩酸塩であるスピリット ブラックの塩化物イオンを中和させ更にアルカリを加え水酸化物イオン置き換えることをフリーベースと呼び、そのような処理を行い得たニグロシンをソルベント ブラック 7と呼び一般にニグロシン ベース(Nigrosine Base)と呼んでいる。ニグロシン ベースは、脂肪酸(Fatty acid)や非極性溶剤への相溶性があるためニグロシン オイル ソルブル(Nigrosine Oil Soluble)とも呼ばれる。
また、スピリット ブラックをスルホン化しナトリウム塩とした色素は、水に可溶型となり皮革の染色などに用いられ、アシッド ブラック 2(C.I.Acid Black 2)と呼ばれ酸性染料として知られておりウォーター ニグロシン(Water Nigrosine)と呼ばれている。

 

<黒色色素としての位置づけ>

黒色色材において無機化合物であるカーボンブラック(Carbon Black)が有名であるが、ニグロシンは、カーボンブラックの次に廉価であり、精密化学品でありながら技術開発の変遷により大量生産が可能となったため、また、合成樹脂を始め大規模な需要に対して供給能力を有し、様々な用途に用いられることにより更に経済性を発揮している。古くは靴墨などに用いられ合成樹脂(熱硬化性、熱可塑性樹脂)、インキ、塗料、カーボンペーパー、ファブリックインクリボン、トナー用の荷電制御剤(CCA)などが知られている。

 

<靴墨のはなし>

靴墨は、靴表面を保護し、擦り傷を修復し、光沢を出すために用いられており1800年代初頭から用いられている。ニグロシンは、溶剤型靴磨き剤(Solvent-based shoe polish)に用いられている。ニグロシンを溶剤とワックスに混合するために、予め脂肪酸による中和が必要である。ニグロシン ベースは、オレイン酸 あるいはステアリン酸と反応するため、これらの染料製品をオイル ブラック(OIL BLACK)として販売されている。 尚、ニグロシンのステアリン酸塩は、ワックスの融点を低下させないというメリットがあり古くから用いられている。

 

<ベークライトのはなし>

ニグロシンとベークライト(Bakelite) つまり、フェノール・ホルムアルデヒド樹脂(フェノール樹脂)とは長い歴史的な関係がある。フェノール樹脂が生まれたのは、1907年にレオ・ヘンドリック・ベークランドが初の合成樹脂として発明した。ノボラック型フェノール樹脂は、透明で赤褐色の外観である。そのため外観向上のためには、着色剤が必要とされた。1920年にレコード用のフェノール・アセトアルデヒド樹脂組成物として、ニグロシンが使用されている記述されている。歴史的に見て、更に熱硬化性樹脂組成物への分散性を考えるとニグロシンが適用させた背景に納得出来る。

 

<油性インキのはなし>

ニグロシンを用いた油性インキを調査した処、1903年 Hermann H. Spohnの米国特許 No.741,739が見つかった。洗濯物の型板、孔版用インキ或は消印用としてニグロシン ベースをトルイジンに溶解させ、ロジン樹脂を添加する処方が発明されている。一方、日本では、オリヱント色素工業合資会社のニグロシン製造開始時期と同じく1931年(昭和6年)に篠崎叉兵衛が、特許第93381号にて洗濯物用インキを取得している。ニグロシン スピリット ソルブルをフェノールに溶解しメタノール、氷酢酸、シンナミックアルデヒドを加え、ヒマシ油で練ったカーボンブラックを更に加えたインキは、耐漂白性が得られると記載されている。黒色インキの製造方法としては、1921年(大正10年)に大西啓介によってタンニン酸に重クロム酸を加えた溶液にニグロシン溶液を加えてなる黒色インキは、変褪色性に優れた黒色インキであるとされている。非常に興味深い用途として1888年の米国特許No.376,456では、戦前に存在していた“コピー鉛筆”(筆跡を消す事が出来ない鉛筆で重要な書類のサイン等に用いられた)にニグロシンが処方されている。

 

<スケーリング防止剤のはなし>

ニグロシンを用いた特殊用途として、ニグロシンを含むコーティング剤が塩化ビニル単量体または、塩化ビニル及びその共重合体の懸濁重合あるいは乳化重合に際して、重合機器(反応缶)壁に生ずる重合体スケールの付着を防止する効果が知られている。この壁面用塗布剤の発明は、市販のマーキングインキを用いて実施検討され信越化学工業(株)によって1970年(昭和45年)に特許化され実施された。(特公昭45-30835)

 

<荷電制御剤のはなし>

ニグロシンが、荷電制御剤として使用される記述が残るのは、1955年 (昭和30年)ゼロックス(XEROX)によって静電写真潜像乾式現像剤と電子写真用トナーの特許が出願されたのにさかのぼる。1968年(昭和43年)にイーストマン・コダックが、トナー粒子の脱落による背景着色を生じる原因を克服するために、ニグロシンのモノ又はジカルボン酸塩を用いる事により、均一な荷電を施す事が出来ると考案された。この技術を背景に、オリヱント化学工業株式会社が、日本国内の複写機メーカーの台頭に伴い鋭意開発されたのがBONTRON® N-seriesである。BONTRON® N-seriesは、アニリン由来の安全性が不安視されていた本業界に対していち早く対応した結果、大きな成功を収めた。

 

<ナイロンのはなし>

古くからニグロシンは、ナイロン繊維、特にモノフィラメントの着色に用いられていた。漆黒性が高くナイロンとの相溶性があり、耐熱性も十分であったため1980年(昭和55年)にイー・アイ・デュポンによるエンジアリングプラスチックスの提唱によってポリアミド成形樹脂材料でカーボンブラックを用いた場合の衝撃性、伸び率の劣化を防ぐため、樹脂組成物の配合にカーボンブラックとニグロシンを併用することによりこれらの機械物性面の課題を解決する成形材料が発明された。また、ニグロシンの機能としてカーボンブラックは、粒子で存在するため結晶性樹脂であるポリアミドにおいて造核効果を及ぼすが、ニグロシンは、染料としてポリアミドに相溶し、融点に影響せず結晶化温度を下げる効果があるため、ガラス繊維など無機フィラーや造核効果を及ぼす添加剤の効果を打ち消すため現在も多く用いられている。

 

<ORIENT ニグロシン>

オリヱント化学工業株式会社におけるニグロシンの歴史は、1931年(昭和6年)にニグロシンの製造を開始している。また1938年(昭和13年)当時の「オリヱント色素工業合資会社」は、大阪市旭区にてスピリット ブラック、オイル ブラック(ニグロシン ベース)の生産を開始した。その後 戦中に操業を停止したが、1945年(昭和20年)10月にニグロシンの生産を再開した。その後 1967年(昭和42年)に現在の大阪事業所にニグロシン工場(寝屋川IS工場)を建設し操業を開始し現在に至る。既に78年間の製造販売の歴史がある。
当社におけるニグロシン系染料の研究開発を紐解くと、ニグロシン系染料の製造方法についての発明が多く見られる。特に注目すべきは、1976年(昭和51年)に前川義裕、松浦政俊によるニグロシンのベース化の技術にあたる。ニグロシンの縮合反応によって得られる反応生成物は、塩酸塩と未反応アニリンとその塩酸塩及び縮合用触媒の混合物であり、この混合物から反応生成物を取出すために、未反応アニリンを部分的に蒸留し回収し、次いで冷却し固化した反応物を粉砕し、希塩酸中で撹拌,加温して反応物中の触媒及び残存するアニリンを除去していた。これらは、固体-液体での接触であるため夾雑物を除去する効率に劣り且つ経済性、生産性が劣る。ニグロシン系染料の反応生成物の液体-液体反応による精製または精製ベース化に成功した。この技術経緯により生み出された製品が、“Nigrosine Base EX”である。
Nigrosine Base EXは、それまでのソルベント ブラック 7と異なり反応生成物の対イオンを水酸化物イオンに修飾し、ニグロシン中の塩素含有量もしくは無機塩含有量の極めて低い製品を世にだしたのである。
次に、前川義裕らは、ニグロシンの製造方法の効率化に着手し、それまでの単純なバッチ式方式から、連続生産可能な方式を生み出した。この効率的な生産方式は、現在も継承され、後継者たちによりオリヱント化学工業とそのグループ会社にて改善、改良され運用されて現在に至る。この連続生産方式の採用により競合他社の追従を排し世界一のニグロシンメーカーに成長した。
一方 ニグロシン系染料の溶解性向上についても種々の開発がなされていた。1982年(昭和57年)に大塚政洋によりニグロシンの酸アマイド誘導体(アルキル置換ニグロシン)が合成された。ニグロシン骨格中のアミノ基は、活性水素であり、有機酸と容易に縮合する。ニグロシンをさらに親油性にするために、アルキル基、アルケニル基、アラルキル基を置換している。
1980年代後半になると普通紙複写機(コピー機)も一般的となり、ニグロシンの主な用途となる静電荷現像用トナーの添加される荷電制御剤の需要が拡大していった。1988年(昭和63年)石田幸彦によりハロゲン化ニグロシンが開発され考案された。含ハロゲン化ニグロシン化合物は、高摩擦帯電特性を有する正電荷制御剤として考案されたが実用には至らなかった。
1990年(平成2年) に秋山和俊、松原貞彦によりニグロシンを有機溶剤と混合もしくは、混合加熱し副生成物を除去し主成分であるフェナジン、フェナジンアジン、トリフェナジンオキサジンを得る製法が考案され有色成分が高純度で高耐熱性、高日光堅牢性をもつニグロシン系染料が提案された。
ニグロシンは、ポリアミドへの相溶性は高いが、ポリカーボネイトなどに代表する非晶性の熱可塑性樹脂の適用出来なかった。1997年(平成9年)に、この課題を林昭彦、中沢恒平らが克服するためにアニオン系界面活性剤とニグロシンの反応からなる着色樹脂組成物を考案した。これをマスターバッチ化した製品が、NUBIAN BLACK LDPE0851-50%である。
これらの技術変遷は、ニグロシンからの不純物の低減、生産効率の向上、色素材料としての高機能化を目指したものであり、現在の当社の開発方針と何ら変わらない普遍的な課題でもある。

 

<次世代への魅力>

オリヱント化学工業は、環境対応に伴うニグロシンの将来像を明確に定めており、更なる不純物の除去、精製技術を構築し、且つ廃棄物の削減、再利用にも努力している。また、これらの技術構築をベースに2010年 秋には、大阪事業所(大阪府寝屋川市)に新たな工場を建設中であり、今後もニグロシンメーカーのトップメーカーとして産業の発展に寄与したいと考えている。
現在、当社は熱可塑性樹脂の高融点化に伴い、芳香族ナイロン(PPA, 6T/9T-Nylon)、ポリフェニレンスルファイド(PPS)などのスーパーエンプラ用に従来品の熱分解開始温度より約100℃高い材料開発を終了しておりサンプルワークを行っている。また、従来 染料系黒色色材の適用の困難であったオレフィンへの適用グレードを保有している。更に、熱硬化性樹脂分野においては、RoHs規制はもとより、アルカリ金属、アルカリ土類金属の精製グレードをエポキシ樹脂封止材に適用している。
また、可溶型ニグロシンとして、合成樹脂用ニグロシンの製造プロセスとは異なった新たな製造方法により、溶解安定性、溶媒適用性を提案し筆記具用インクはもちろんのこと、インクジェット分野への適用を視野に検討している。また、ニグロシンを色素材料として無極性溶媒での分散体、水系分散体なども提案している。
当社の考えるニグロシンの魅力とは、廉価であり経済性に富んでいる点があげられる。これは、先人たちの弛まぬ努力によるところが大きいが、度重なる経済危機的状況の打破、環境・公害問題を踏まえた変化に対して対処、対策を怠らなかった点が大きい。
これらを踏まえた上で、色素材料として2つの窒素からなるアジン環状骨格を有している点、色素構成の一部が塩基性を示す電気特性上の魅力、縮合物であるため高耐熱性が得られ安定な化合物、高分子量の色素をもちながら染料のように溶解する魅力、また対イオンを修飾する事により溶媒への適用性が広がる点、黒色である点、ニグロシンを原料とした顔料化など多くの機能性材料へのベースとなる条件を兼ね備えている。

 

<引用文献>

USP954,666 Varnish (1910) : Leo H. Baekeland
GB176,828 Improvement in Composite Mats for Making Printing Plates, Sound Records, and the like (1920): E.P.Alexander & Son,
USP376,456 Copying-pencil (1888) : Charles Walpuski
特許第41414号 黒色インキ製造方法 (1921):大西啓介
特許第93381号 洗濯物用インキ (1931):篠崎又兵衛
USP741,734 Ink (1903) : Hermann H.Spohn
USP2,892,794 Electrostatic Developer and Toner (1955) : Michael A.Insalaco
USP2,990,405 Spirit Soluble Black dyes (1961) : Foster L. Pepper
特公昭45-30835 ハロゲン化ビニルの重合方法 (1970):小柳俊一
特公昭47-25669 電子写真用トナー (1968):ジェームス・ロジャー・オルソン
特公昭51-44038 フェノール樹脂からなる成形用組成物 (1972) :シルビィノ・ヴァーギュ
特公昭56-29901 ニグロシン系染料の製法 (1981):前川義裕、松浦政俊
特公昭57-115454 成形用配合物 (1981) : マリオン・グレン・ワゴナー
特公昭56-32342 インジュリン乃至ニグロシンの効率的製造方法 (1981):前川義裕
特公平1-38416 ニグロシン系染料及びその製造法 (1989):大塚政洋
特許第2561327号 ニグロシン系化合物、並びにハロゲン化ニグロシン系化合物の製造方法とニグロシン系化合物を含有する静電荷現像用トナー(1996):石田幸彦
特許第2798487号 耐熱性及び耐光性に優れたアジン系染料の製法 (1998):秋山和俊、松原貞彦
特許第3599445号 黒色ポリアミド樹脂組成物 (2004):林 昭彦、中沢恒平
特許第3684289号 着色熱可塑性樹脂組成物 (2005) :林 昭彦、西川昌孝
特許第3599472号 黒色ポリアミド樹脂組成物 (2004):林 昭彦、西川昌孝
特許第3898260号 荷電制御剤及び静電荷現像用トナー (2007):安松雅司、山中俊一郎、林昭彦、山本 聡、岡田和也
特許第3873355号 ポリエチレンテレフタレート系樹脂組成物及びそのマスターバッチ並びにポリエチレンテレフタレート系樹脂の改質方法 (2006):西川昌孝、林 昭彦
特許第3757081号 水不溶性ニグロシン及びその関連技術 (2006):林 昭彦、鶴原 徹、竹内 浩
特開2001-240733 黒色ポリブチレンテレフタレート樹脂組成物(2001):林 昭彦、鶴原 徹
WO 2000/26302 着色熱可塑性樹脂組成物(2000):鶴原 徹
WO 2004/005389 核効果抑制剤(2003):竹内 浩、須方一明
WO 2005/21657 非自然発火性ニグロシン(2004):須方一明、木原哲二
特開2007-197666 造粒着色剤及びその関連技術(2006)

 

”ニグロシン”に関するお問い合わせは下記よりお願い致します。

お問合わせフォーム

10件

件ごと

グリッド  リスト 

降順

10件

件ごと

グリッド  リスト 

降順